『セカンドノベル』の感想……ではなく、何故か『書淫、或いは失われた夢の物語。』の話

いや正確には『書淫、或いは失われた夢の物語。』と俺と(いつか何事もなかった様に復活しているかもしれないけど)もう消えてしまった俺サイトの話、とでも言うべきですかね。



正直今この雑記を何人くらいの人が見ているのか、そしてそのうちどれくらいが『書淫大好きふりすきー』というサイトの事を覚えているのか、俺は全く把握していない訳ですが……。


2001年の1月14日、俺は後に人生にちょっとだけ影響を及ぼす事になる『書淫、或いは失われた夢の物語。』というエロゲを買いました。
何故日付まで正確に覚えているのか……それは分かりません。
年と月を覚えているのは2001年の2月に俺内エロゲランキングで書淫と同率1位の『Choir』というゲームが発売され、さらに2002年2月に僅差で3位になる『僕と、僕らの夏。』というゲームが発売されたからなのですが……まあそれはともかく。


正直このゲームを買った当初は、全くゲーム自体に期待していませんでした。
ただ、その前に『ONE』と『Kanon』と『AIR』をぶっ続けでプレイしたので、凌辱ゲーがプレイしたかった。
だけど無駄金を使いたくなかったので万が一のための保険として、当時2000円で、さらにあの馬鹿ゲーしか感想を書かない事で有名だったEFAさんがほぼ唯一まともに褒めていたから完全無欠に駄目だという事はないだろう……というとてつもなく安易な理由で『書淫、或いは失われた夢の物語。』を購入しました。


そしてハマりました。


これを超えるゲームは出ないだろうと思いましたし、今も、個人的な好みで+40点くらい補正が入っている『Choir』以外に書淫に匹敵するゲームは無いと思っています。
(正確には「いや、お前『悪夢〜青い果実の散花〜』の方が好きだろ!」とつっこまれる所なんですけど、「好き」の方向性が全く違いますので。)


なので、周りの人間に書淫を勧めまくりました。
2000円なのをいい事に買い占めて配ったりもしました。
シナリオを書いた深沢豊さんの次回作『True Color,』が出ると聞いて、ファンサイトも作りました。


しかし、周りに「書淫は80点以上付けられるゲームだ」という人はいても「書淫は文句なく100点の、最高のエロゲだ」と言う人はほとんどいませんでした。
かつての俺のサイトを見て間接的に知った人がどうだったかは知りませんが、直接的に勧めた人の中ではヴァンガードさんくらいでしょうか。




その理由を理解するのに俺は3年ほどかかりました。



「なぜ書淫は多くの人に80点のゲームだと評価され、100点のゲームだと思う人間が2人しかいなかったのか?」……その理由を説明する前に、一応『書淫、或いは失われた夢の物語。』というゲームについて軽く説明しておきましょう。
このゲームは凌辱ゲー部分の『書淫』と純愛ゲー部分の『失われた夢の物語』の、一見、登場人物が同じ以外何の関係もない2つの部分が進行していくうちに相互に影響を及ぼしあい、最後には一点に集約されていく……というお話です。
形式的には。


あくまで形式的には。
ジャンルとしては、と言った方がいいかもしれません。


そういうゲーム、2つの話を1つの話に集約する作り手の腕を楽しむゲームとしては、『書淫、或いは失われた夢の物語。』は80点〜85点くらいの出来だと俺も思います。




ですが、我々……「深沢豊に魂を囚われた物達」とでも言いましょうか(笑)……にとっては『書淫、或いは失われた夢の物語。』とはそういうゲームではないのです。
我々にとって『書淫、或いは失われた夢の物語』とは、作り手である深沢豊さんが全身全霊を込めて投げた球を、メッセージを、受け手である我々がこれまた全身全霊で受け止めるという物語。
そして作り手が全身全霊を込めた球を投げ、受け手が全身全霊でそれを受け止める事が物語の本質である、という非常にシンプルな、しかし太い物語なのです。



そして、当たり前の事ですが、作り手は常に全身全霊で球を投げている訳ではなく、また受け手も、作り手の投げた球を全て全身全霊を持って受け止めたりはしない。


偶然の出会いだけが、そんな全身全霊のキャッチボールを実現させる。


さらに言うなら、『書淫、或いは失われた夢の物語。』には「80点くらいのギミック」という受け手を全身全霊にさせる引力はあっても、多くの「名作」とされる作品が持つ「100点のエンターテイメント性」という引力に欠けていた。



それが、『書淫、或いは失われた夢の物語。』が「入手困難な伝説の作品」であっても「伝説の名作」ではない理由ではないか?。
今、俺はそう思います。




最後に、おそらく正式には書かれる事はないであろう『セカンドノベル』の感想を。



『セカンドノベル』は5年前の事故に主人公達が決着を付ける物語です。


我々「深沢豊に魂を囚われた物達」は、そこに、5年間過去を引きずり続けた主人公達に、10年間待ち続けた自分たちを重ねる事ができました。
故に、我々(ひょっとしたら世界で俺だけなのかもしれませんが)「10年間の思いの重み」という補正を加える事ができる者達にとっては『セカンドノベル』は、間違いなく『書淫、或いは失われた夢の物語。」に匹敵し、それを超えるゲームでした。


だがしかし、そんな思いがない人間にとっては『セカンドノベル』はやはり「ややエンターテイメント性に欠ける良く出来た80点のゲーム」だったのではないか、とそう思います。


『セカンドノベル』について、これ以上の事を俺は書く気は、多分、ありません。
なぜなら「どの作り手が投げたどの球を全身全霊で受け止めるかの選択は、あくまで受け手一人一人が選ぶべきであり、その手応えがどれほどの物であったかもまた、受け手一人一人が考えるべきだと思うから」です。


なので「どこからどこまでがどうだったのか」「結局あれは何だったのか」などという、作品世界についての野暮な(と個人的に思う)線引きや解釈もしません。
それもまた「受け手一人一人が考える事」だと思うからです。



以上です。