流石は風船ドーガにしっぽで殴らせるハイセンスなスクエニだぜ!

最近、『ルーンファクトリー2』も1回終わらせて2周目やる気になれなかったので、DS版FF3をやっていたんですけど、世間の評判とは裏腹に、こっれがまた本当に微妙でねえ……。


ヘボスペックのハードから最新機種にリメイク移植した時にありがちな「音源が明らかに良くなっているのに、曲が凄い勢いでヘボくなっている」問題は、植松伸夫がいなくなってたから仕方無い部分があると思いますし、「天野テンテーの宇宙的センスをポリゴン化したらモンスターがことごとく、凄い勢いでニュルニュル動く宇宙的邪悪生物に変わってしまいました」問題も、アレは元々動かす事を想定してないデザインだろうし、そのままドット絵にしてなんの違和感も感じさせなかったファミコン版のドット絵師の人が凄いのもあると思うので、これまた仕方無いのでしょうけど、これだけは!と思っていた所でスクエニがやらかしてくれた!



(多分私以外にはどうでもいい事なんでしょうけど)リアルタイムでファミコン版FF3をやった時から現在まで、ずっと謎に思っていた事に、

「ザンデ様がノアから受け継いで、『こんな下らない物しかくれない師匠にはがっかりだ!』と悪の道に走る結果になった『にんげんとしてのいのち』ってのはなんじゃろ?」

というのがありまして、ウネ婆さんの、

「『にんげんとしてのいのち』こそがさいこうのものだったのに……ザンデにはわからなかったんだね……」

というセリフと共に、「気になって気になって仕方ないんだけど、何かよく分からない想像も付かない物」として『にんげんとしてのいのち』という概念はある意味神格化されておりまして……。



で、今回のリメイク版で、「『にんげんとしてのいのち』とは何か?という疑問の答えが出るんじゃないか」とちょっと期待する物がありつつも、変に失望させられる答えを出されるよりも、(たかがゲームの設定出すにはスケールのデカすぎるたとえですが)ミロのヴィーナスの腕みたいな感じで、何の事か分からないのをあれこれ考えるのが美しいんだろうなあきっと……などと思ってたんですけど、戦闘シーンになると突然キモい風船ヒゲになる事で有名なドーガ爺さんがあっさり教えてくれましたよええ。

「人間としての限りある命を精一杯生きる事こそが、(世界最強の魔力や夢の世界の支配権などとは比べものにならないほどに)最高の事なのじゃ!」

下手に弟子3人の中で一番出来が良かったばかりに、師匠のこんなペラい人生観を勝手に押しつけられたザンデ様は、間違いなく世界を滅ぼすくらいの勢いで怒っていいと思います。
自分が思うのはともかく、弟子に強制する事じゃないでしょそれ。
しかも「ザンデは永遠に生きるために、世界の時間を1000年の間止めて世界を海に沈め、自らも眠りについていたのじゃ。」とかいう超絶小物設定付きですよ……。
マジありえねえ。


まあ、オリジナルから15年以上経ってからのリメイク版というのもありまして、これが本当にオリジナルにも適応される設定なのか?、という疑問もあるんですけど、まあそれは置いておきましょう。



どこぞの考察バカが考えた脳内設定じゃないんですよ。
まがりなりにも、公式で出された(ラスボスは他にいるけど)悪の大ボスの設定ですよ!。
こんな小物設定のキャラ倒してエレクチオン興奮できるかっつーの!
(20年の時間で膨らんだ幻想との落差も含めて)心の底から失望したわ!としか言い様が無いです。


正直、ゲーム自体が(激難しかったオリジナルもアレですけど)ほとんどのボスが(有利なゲームの進め方さえ知っていれば)1ターンで倒せる超簡単な難易度設定な事以上にがっかりですよ。




超余談ですが、こういう意味で、裏設定の開示とか考察とかって好きじゃないんですよね……作品って、触れた人が分からない部分については好き勝手に考えていていい物だと思うので。


もちろん、「明らかに間違った読み方をしてるだろそれ!」という解釈を触れた人がするのも、それはそれでアレだとも思いますが。
(でも、誤読されたくない部分(作品のテーマとか)を触れた人がきちん理解できる様に、分かりやすく表現する事は、作り手の腕が最も要求される部分の一つだとは思います。)