鬼貫警部の演説は大地康夫の声に脳内変換しといて下さい

例によって105円で手に入れた、鮎川哲也さんの『しぶとい殺人者〜鬼貫警部と四つの殺人事件〜』という短編集に入っている『碑文谷事件』という短編が(男爵的に)熱すぎたので、今日はその話です。
と言っても、この短編小説自体と言うか鬼貫警部物は「どう考えても犯人がこいつなのは分かってるんだけどアリバイがある」という状態を何とかする、いわゆるトラベルミステリー系の話で、別に話自体は「よくできている」「上手い」であっても「凄い」……特に私が言う所の「凄い」、すなわち「発想が頭おかしすぎて凄い」というのとは、基本、全くかけ離れていまして、この『碑文谷事件』も、話そのものは、「音楽評論家の夫(42歳)が妻(24歳)を殺したのは明白なんだけど、アリバイが完璧で逮捕できないのを何とかする」という滅茶苦茶普通の話なんですが、妻を殺した動機が凄かった


なんと「処女だと思って結婚した妻が処女じゃなかったから殺した」という熱すぎる話なんですね。



さらに、これを解説する鬼貫警部の説明がまた熱い。
熱すぎるので思わず原文を転載してしまいますと、

要するに山下氏がピューリタンでありすぎたのです。世間には、中年になってまだ女性との交渉がない人をうす気味悪がって、化け物のようにいうものがあります。彼等にいわせれば、山下氏も化け物のひとりでした。しかし本人は四十一歳で結婚するまで身をかたく持して、それをひそかな誇りとしていました。言い方がまずいかもしれませんが、その誇りは宗教的なものにまで高められていた。
(中略)
そうした山下氏ですから、結婚する相手も自分にふさわしい清浄な乙女でなくてはならなかった。
(後略)」


さらに、この話をした鬼貫警部に対して、これ読んでる皆さんも私も当然思った疑問、すなわち、

「別に奥さん殺さなくても、離婚して他の処女の女と結婚すればいいんじゃないの?」


という質問を、説明を聞いてる登場人物の1人がぶつけるんですけど、これに対する返答にあたる続きの部分が、もう本当に臨界点を超えて熱すぎる。
また原文を転載しますが、

「そう、一般論としてはそのとおりです。新鮮なリンゴを買ってきたつもりで、香りも甘さも失せた傷ものの店晒しのリンゴを売りつけられたのなら、それを果物店にたたきかえせばよい。だが山下氏の場合はちがいます。わたしは花言葉なんてものは少しも知りませんが、白いフリージヤは純潔を意味するそうじゃないですか。世間では男性が女性の白いフリージヤの花びらをちらしたとき、これに道義的な非難をあびせかけます。しかし反対に男性の白いフリージヤが女性によって踏みにじられても、女性を非難する人はありません。なぜ女性に対して寛大であるかということはいまの場合問題ではない。わたしが指摘したいのは、四十一年間汚点ひとつつけずにそだてあげてきた山下氏の純白のフリージヤが、小夜子さんによって泥まみれにされてしまったということです。その汚されたフリージヤは、小夜子さんを離別したところでもとの美しさにもどるものではありません。
(中略)
 あの人が妻を愛していたのは決して見せかけではありません。しかし、誇りをうばわれた怒りと愛情とを天秤にかけると、段違いに怒りのほうが大きかった。わたしは前に宗教的ということばをつかいましたが、あれを思いだしてみて下さい。それによってはじめて山下氏の怒りが理解できると思います。
(後略)」


なんという童貞力……童貞をここまでロマンチックに表現した作品を、私はオールジャンルで見た事がありません。
ちなみにこれをとうとうと語っている鬼貫警部も、巻末の年表的解説を見る感じでは、多分童貞です(笑)。



いや一応真面目に考えますと、この小説自体が昭和30年に書かれた物で、さらに「満州国」だの「内地」だのというフレーズがやたら出てくる所からみて「『女は結婚するまで処女じゃなきゃ駄目』という風習が微妙に崩れてきた時代の風俗の乱れ」を憂いているのか、もしくは「そういう時代に適応できなかった人の悲劇」を書いているのかのどちらかなんだとは思うのですが……やはり現代の感覚で見ると「30まで童貞で魔法使いになったジジイ乙」としか言い様が無いですよね(笑)。




とまあ、頭がおかしい推理小説ばかり好んで読んできた私も思わず驚愕する様な動機で、しかも、説明されればまあ理論的には分からないでもないというのは前代未聞だったので、思わず長文を書いてしまいました。


これに匹敵するキ○ガイ動機となると、やっぱり「作品内では犯人がキ○ガイ扱いされている」「元々キ○ガイ的世界観で書いている」「そもそも作者が世間でキ○ガイ扱いされてる」かのどれかしか思い浮かびませんからねえ(笑)。