せっかくだから詳しく説明しておこうかな、という、まあ基本的にはどうでもいい話。

 無限旋律の人の所から『メタルブラック』の開発者の人の苦労話を見にいったんですけども、(そもそも『メタルブラック』がどんなゲームかすら分かってない事もあって)苦労話自体よりも、

 (雑誌の開発者インタビューを受ける事になったんだけど)
 製作要所の苦労話の聞き出しを期待したものの案の定、質問はドラマストーリーに集中してしまった気がする。
 私はその解釈は人それぞれでよい物だと思うし、何故?教えて欲しいのだろうと逆に思う。

 そして設定マニア風潮から、ドラマストーリーが何故必要なのかという本質が忘れられているような気もしてしまう。

 という所の方が気になったというか気に入りましたね。




 私自体、昔、深沢の旦那にサイト立ち上げの際に 、書淫について「そういやここはどういう事なんですかね?」 と(メールで)聞いて

、「いや、そんなもんは(受け手である)君らが決めるもんで、制作者が決めるもんじゃないでしょ。」

と返されて妙に納得した事とか、また、いろいろ紆余曲折がありまして割と懇意にさせていただいている(と思う)某シナリオライターの人に「ここはこういう事なんすかねー?」
と聞いて

「いや、違うよ」


と言われたんだけど、「ああそうなんですか。でも俺の中ではこういう事になってるんで。」と平然と返した事があったりするんで、最近の「自称考察」、つまり「これはこういう風に解釈するべき作品なんだ!」的断定口調で書かれた文章が非常に嫌いだったりします。


 まあ、そういう文章のほとんどが、自分が決めた結論に都合が良い材料だけを、作品内どころか作品外からも引っ張ってきて、強引に作り上げた事が、1回読んだらすぐ分かる「考察」と呼びたくもない代物ばかりだからって事ももちろんあるんですけど、そんなクソどうでもいい事以前に「作品に触れる」というのはもっと自由と言うか、受け手が好き勝手していい物だと思うんですよね



 という、プロフィールでは一言で済ませている話を長々と説明してみただけのどうでもいい話でした、と。