その時歴史が変わった(大げさ)

 どうでもいい話ですが、ちょっと前から

いったい何時から純愛エロゲ界は『ヒロインは処女じゃなきゃ駄目で寝取られは絶対悪』という風潮が支配的になってきたのか?

という命題が非常に気になっておりまして。

 とりあえず、世界で俺だけが絶賛する『Choir』の人間側シナリオは、メインヒロインの年増理事長(CV:歌織)以外は全員寝取られれいーぷで処女喪失という阿鼻叫喚の作品だったのにもかかわらず、そっち方面での叩きは皆無だった記憶があるので、このような風潮ができたのは確実に2001年2月よりは後であるのは間違いないんですが(笑)。


 そんな話はさておき、自分で書いていても悪い冗談のような気がしてならないのですが、体感的にはこの風潮が顕著になった歴史的な分岐点は『うちの妹のばあい(はぁと)』じゃないかって気がします。
 このゲームは、純愛ゲーの皮をかぶった寝取られゲーとして、純愛ゲーマーを地獄の釜の中に叩き込んだ作品として有名ですが、逆に、このゲーム以前には「サブキャラが魅力的なのに攻略不可能なのは残念だ」という話題が世間的に盛り上がることはあっても、「ヒロインが寝取られて鬱だ、許せん」などと言った方向でエロゲ界の世論が盛り上がった事は無かったんじゃないか、と思うのですが。

 そういう意味では、あれだけ寝取られにこだわった作品ばかり作ってきたイージーオーが純愛に方向転換せざるを得なかったのは、ある意味自業自得な部分があったのかもしれないなー、などと思ったりとか。
 まあ、俺は寝取られ好きでもなんでもないのでどうでもいい話なんですけど。



 この件に関しては、そのうち機会があったら、エロゲ発売日年表みたいなのをチェックしながら真剣に考察してみたいですね。




多分俺以外にはどうでもいい補足ですけど、「世界で俺だけが絶賛する『Choir』、の人間側シナリオ」という文脈の流れであって、妖魔側シナリオは絶賛している俺も、人間側シナリオはどうしようもない出来だと思っています。